出張ボーン

きょうの夜は、シャロームにて職員対象にボーンメソッドワークにいってくる。
介助者が自らのボーンに興味を持ってくれてうれしい。

競技ダンス選手時代に「勝ち負けだけが大事なのに、そこまで追求する必要ある?」

といわれながらも、奥深く入って行ってムダになったことは何もなかった。

いまのわたしのメイン活動・・・芸術活動・・・においての創造の意識に役に立っていることは言うまでもないけど、

カップルダンスにおいての深淵はなんといっても「距離感」

これを、ミリ単位、グラム単位?で、追求してきたおかげで、コンタクトにおいては・・・たしかに異常なほどかもしれないけど・・・・・微細な感覚が身に着いた。

相手の脈を感じながらも、自分の脈で踊るという研ぎ澄まされた感覚は、見えるもの見えないもの、自ら動く人間同士、自らは動かないモノなどとも遊戯できるほど、つまり生命を吹き込むような感覚をつかんだ。

たしかに、ガサツな世の中という社会には、何の役にも立たないかもしれない。むしろ邪魔な感覚かもしれない。

 

けれど、ふしぎな運命の糸に引かれて出会った、ぽれぽれの仲間やきゃべつの仲間との微細な距離感にはとても役立っている。

 

ボーンメソッドを自分自身の身体能力向上トレーニングにして、25年近くになり、それを体系化して、ワークショップやレッスンするようになってなんだかんだ20年近くになるのだろうか・・・

「距離感」はカップルダンスの要であるから、人と人との距離だけでは無く、音楽や空間、照明などとも距離を微細にマニピュレイトしつつされつつコラボすることに、醍醐味を感じるようになってきた。

 

残念と言う言葉では言い尽くせないほど残念で仕方が無いのは、それを互いにカップルダンスとして表出できた唯一のひとが他界してしまったことだ。

音楽や空間、モノや身体とのコラボは、素晴らしいアーティストや仲間との出会いで実現出来ているけれど、

本家本元、カップルダンスとして、いま、みなさんに体現化してお見せすることは、二度とできなくなってしまった。

 

これも運命ではあるし、カップルダンスをしている時は、逆に世界が狭められて、距離感の真理を伝達する機会に恵まれず(需要が無い。求められない。)、

むしろ、違うフィールドに転向してからのほうが、たくさんの人々に伝える機会を得たにもかかわらず、ダンスのお相手は、この世にいない・・・

 

いったいぜんたい、わたしのミッションは何処にあるのかと、さまよいつづける。

 

霊的なコラボをしたとしても、はっきりと誰の目にも見える訳ではないし、実際肉体があったとしても、その微細な「間」や「距離」は、誰にでも感じられた訳ではなかったので、まあ同じなのかも知れない。

 

いまでは、このカップルダンスとしての「距離感」の伝達法は、わたし自身封印して納得。伝えるお役目はこの運命の流れから紐解くと、自分にはないのだと悟った。

だが、この技術?は、障害者や日常茶飯事のあれこれには、まだお役立ちの機会がありそうだとしつこく粘っている。。

早くそんなことに見切りをつけてしまいたい気持ちもあるのだけど。

 

 

介助者こそ、ボーンをやって、自身の身体との距離感をつかみ、それを仲間のみんなとの日々に活かしてくれたら、専門分野以上の手ごたえを感じて、

社会福祉の担い手が人手不足になることがないであろうに・・・・と、かれこれ10年近く前に思ったものだった。

 

ここへきて、急に介助のエキスパートたちから、ボーンや身体に対する問い合わせがきて、非常にうれしく思っている。

 

きょうはシャローム、来週は実習所のそれぞれ職員(とはいえ、希望者のみ)対象にワークに行って来ます。

各施設の施設長、所長の感性の豊かさに感謝するとともに、少しは良い時代になって行くのだろうかと希望を持ちつつ・・・・

 

 

 

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