驚愕のノート発見!

ことあるごとにメモしていたノートをこの度整理した。

定期的にノートを整理してはいたが、せいぜい10年前くらいからのノートしか手につけていなかった。

今回は15年くらい前からの忘れていたノートが多数出てきたので、開いてみると・・・・

 

 

そこには、全く覚えのないことがいろいろ書いてあった。

 

一番驚いたのは、質問形式になっていて自分が出した質問に自分で答えるというもの。YesまたはNoで。

なかなかいい質問だった。

当時の答えも書いてあったけど、面白いのでいまの自分はどうなのかあらためて答えてみた。

以前から変わっていないことの方が多いけど、逆の答えになったものもいくつかあった。
自分の変化を他人事の様に見れて興味深い。

 

 

ノートには、当時の夢や希望、目標や目的、課題や疑問・・・そして具体策などが書かれてある。

いつも課題が生れた時に書いていたという方が当たっているかも。そういう癖が小さい時からあって、ノートに書いて解決してきたから。作品を生み出すきっかけにもなっていたようだ。

 

大抵の夢や希望は叶えてきたようだ。わたしの夢はささやかだから(^^; 叶いやすいのかな。

面白いのは、こんな作品を創りたいという夢は数年後ちゃんと実行して生み出していた。

ノートに書いていたことを忘れていたのに。

 

 

叶っていないことが一つだけあった。

だけど、そのノートから滲み出て来る過去の波動は、なんだか苦しそうで、その夢は本当の夢でないような気がした。

だから叶わなかったのではないだろうか、といまのわたしは感じた。

過去のノートは過去からの波動もやってくる。ゾクッとする時がある。

 

そして、もう一つ。ここからが今回の整理の成果なのだが。

どのノートにも(15年ほどことあるごとに書いていたノート)、同じ疑問というか、なんというか、迷い?というのでもなく、どう言ったらよいのだろうか、とにかく、全く同じことが書いてあった。希望というより苦悩に近いものだけど。15年以上前から抱いていたと思う。

 

気になったのは、ずっと同じ疑問(苦悩)を抱えながらも、解決策を模索はしているが、根本的なところを見ていないようなところだ。この疑問の根拠に触れていなくて、なぜ疑問や苦悩を感じるのかを言及していなかった。

疑問や苦悩を感じる自分に問題があると、思い込んでいる様だった。

珍しくこのことに関しては球体視点をしていない!せめて得意の360度視点で見ればよかったのに。わたしには珍しい現象だ。このことに関しての想像力が欠落している。

解決策も一方向からの視点なので、その場を凌げてもまた同じ疑問や苦悩がやってきていたのだ。

解決策には面白いくらいの想像力を働かせていて、いま読んでも、「よくこういうアイディアが浮かんだな」と思うことばかりではあるのだが。

 

どの年のノートにも同じような言葉で綴られていて、ちょっとゾクゾクした。

「あれ?この時も」「あらら、この時も。」と「え~?!この時も?」と、繰り返し繰り返し悩んでいたのは

根本的なことに目がいってなかったからだ。

 

そして何を隠そう、その疑問は薄らいできたとはいえ、いまも同じだったのだ!!!

解決策に奔走していたから、繰り返していたのかもしれない。

 

ようやく願いが叶うかも!

願い?

願いだったのか!

 

しかし、なぜいままで気づかなかったのかな。。。。

まあ、理由もわからなくはないが。

まだまだ修行が足りないな(^^;)

 

さて、
滅多しないけど、すごく稀にこうして古いノートを広げて当時の自分のことを見ることがあるのだけど、

そんな時、どうしても破棄できなかったノートを、今回は結構破棄できたということ!

浄化!

 

これはとっても大きい。

 

そして、自分を褒めたいのは、思想的なことは全くブレていないということ。
ブレないということは、確たる何かを掴んでいるのかもしれないね(^_-)-☆

 

しかし、それでも・・・いや、もしかしたらそれだからこそ・・・見落としていたのかもしれない。

一生修行ですな。永遠の未完。発見を繰り返していくのさ。

 

 

この発見は思わぬことをたぐり寄せた。いや、順番は逆だったような気もするのだが・・・

 

 

それからまたあの言葉がフィードバックしてきた。

いまのわたしは、以前と全く異なる解釈をした(^_-)-☆

 

またね☆

 

 

 

あわせて読みたい

3件のフィードバック

  1. いのうえただし より:

    こんばんは。過去を清算するってことじゃないことぐらいは解ってはいるのですが、古いノート(自分の場合は読書記録)や日記を人生の節目節目で処分してきた身にとって、今回のお話(内容)には身につまされるものがあります。取って置いて今読んだらどうだったかなと思うこともあったりして。貴女とちがって、4月から完全に無職になりコロナで学校が一斉休校になって近所のひとは先生も休業ですか?とか言ってきて返事に困っている次第で。孫との遊びのまにまに、自作の教材や授業ノートなど眺めては11年間の小学校英語講師時代を懐かしんでいますが、すべて処分して新しい生活を踏み出そうとしています。「教えることは学ぶこと」でやってきましたが、今後は「学んで学んで学んでいこう!」との決意で・・・お恥ずかしいコメントですが、貴女のお話を読みついつい書き残してしまいました・お許しのほど。

  2. ひびきみか より:

    いつもありがとうございます☆
    一番面白かったのは、自分で作ったドリル(ほどではないですが・・)のような、問とYes/Noで答えるノート。こういうの作っていた記憶が全くなかったです。
    どうも、心理学の勉強というかちょとかじった時あたりのもののようです。
    いまの自分での答えを記入してから処分しました。

    わたしは教わり上手で、学ぶの大好きです。いわゆる学校の勉強ではなくですが(^^ゞ
    学ぶことはまだまだありますね。表現というのは学びの連続の中にあります。
    発見、気づき・・・それは学びの一種だと思っています。
    そして自分が経験したことしか、人々には伝えません。知識は自分が実行してから初めて自分のものになりますね。

  3. ひびきみか より:

    うわぁ~~~~。たったいま、またノートが出てきた。隠してあった・・・しまってあった場所がいまのわたしにあまりにはまりすぎてコワイ。読んで処分。浄化。しかし、ためになることも書いてあった。知ってることだけど、あらためて読むとグッとくる。もうないだろうな~ノート。無いことを願う(*‘∀‘)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です