10月の路地通信①

さすがにプチダウンしました。三日連続本番(すべて違う緊張感と裏準備)は、さすがのわたしというより、わたしだからこそ、キツカッタヨウデス。いつもの円形禿にはなりませんでしたが、週明けのぽれぽれダンス中、体から脂汗がにじみ出てきて、倒れるかと思いました。

見える準備はともかく、見えない準備は意外とハードなんです(#^^#)

まずは、きゃべつ舞踊団初の路地テアトロ公演について。

一般の方の単独公演は、寺崎檪さんに続き2回目となりました。

路地テアトロは、日頃は、《ひびきみかの身体表現の場》そして、ひびき劇版音楽監督のライヴ空間などでみなさまに場を解放いたしております。

一度公演やライヴにいらした方は、なんとなくこの空間と路地テアトロの存在意義に気づかれているとは思います。

単なる発表の場ではないと申してはいても、では、どういうことなのかというのはなかなか伝わらないのは言うまでもありません。既成概念を持たずに物事に向かうのは大人になればなるほど難しいものです。

既成概念を必要以上に持ち込むと、難しい心情や状態が現れるようで、健常者にはかえってキツイ場であるようです。観客で来る場合は違いますが、この場に立つというのは、合理的にものを考えていると混乱をするようです。

 

ひとは、なにかと合理的に押し込めようとする生き物らしいです。特に日本人は意味や正解を求めます。みんな同じに安心するところがあるようです。わたしは、そのようなことがあると不安になりますが(‘_’)

 

例えばボーンメソッドは身体表現にはなりえませんが、ボーンメソッドが身体表現だと思われる方も多いようです。そう考えるとわかりやすいし、合理的であるとは思うのですが、主宰者としては複雑な心境(‘◇’)ゞ

あえてわかりやすくいえば、身体表現から表現という創造性を抜いたものがボーンメソッドといってもよいのかもしれません。

うーん。これもなんか違うけど、とにかく、ボーンが舞踏や身体劇になっているわけではないのです。

生みの親?のわたしからプロセスをいえば自分の表現からクリエイティブなモノを抜き取って体系化したものがボーンメソッドです。

だから、健康体操と名付ければピッタリかもですが、実はそれもちょっと趣旨が違うので、主軸が消えないようにボーンメソッドと命名しました。

 

ボーンメソッドは一見簡単ですし、まあ、簡単にできるものでもありますが、一方で「もうわかった」「自分でできる」という代物でもないのです。わたしもまだまだわからないことだらけなのに、わかったといわれてしまうと戸惑います(;’∀’)

ボーンメソッド風なものは誰でもできます。誰でもできるものでなければ深いところにいく扉は開きませんから。

というか、誰でもできるモノだからこそ、深いところに行く鍵があるとでも言いましょうか。

だからといって合理的にとらえてしまうと、もうそこでボーンメソッドではないともいえるのです。

まあ、どうでも良い話かもしれません(#^^#)

写真は路地テアトロでの稽古の模様です。本番10日前。

さて、きゃべつ舞踊団のみんなと、日々の稽古、現場での稽古、リハーサル、本番を共にし、

わたしは、またしても大きな気づきを得ました。

ご来場のみなさまも。「素敵」「スゴイ」「楽しい」を超える感覚を得ていただけたなら光栄です。

障がい者だからすごいのではないのです。いえ、そうかもしれません。

しかし、そういうところで、わたしたちもきゃべつも表現していないと思います。

ぜひとも、路地テアトロを体験された方々には、現代社会では体験しづらい経験を通して体感し、評価として見る(良いも悪いも評価ですから)のではなく。自分なりのナニかをつかんでほしいです。

 

子どもたちは何を感じたのだろう。今後が楽しみです。

きゃべつ舞踊団路地テアトロ公演の翌日はひびきみかソロ『No Exit』でした。また別な日に綴ります。

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