ボーンメソッドワークはDEEPでLATINだ!

カテゴライズな好きな日本人は、ボーンだDEEPだLATINだとどうしてもカテゴリー分けする。

もっと驚くのは、

舞踏じゃyないとかLATINじゃないとか。

なんなんだいそれって?

your tradhitional と海外では評価される。ジャンルに入らなくてcongratulationと。

しかし、これも日本だとなんでもOKみたく解釈されてしまう。自由とデタラメは違うのだ。

プロかアマかは、日本の芸術では見えづらくなっているけど、大事な気kがする。

プロももっと頑張らなきゃいけないし、アマももっと勉強しなきゃね。

 

人間もカテゴリー分け出来ないように、身体から発しているモノはカテゴリーに押し込めるのは無理がある。

無限の広がりをもつものを、意味づけして狭めてしまう傾向があるのは、悲しいことだ。

 

ご縁があって奈良にボーンメソッドワークに行ってきた。

作家の寮美千子さんのお計らいでした。寮さんが率いる勾玉天龍座のみなさまと、ボーンメソッドに興味を持ってくださった方などが参加されました。

勾玉天龍座は一般の方々の表現集団ですが、プロでなくても表現に携わっている方々の身体への興味はうれしいくらい深く。骨に目を向けるのが初めてと言いながらも身体の声がすぐに聞けるようになり、骨感も感じられる方も多かったです。自分に目を向けることが難しい現代のようですが、表現に関わるとそれを克服するのは早いのかもしれません。

 

久しぶりに新鮮な身体と思考に出会い、うれしかった。

都会は情報が溢れすぎているのか、身体よりも評価を気にしてしまう傾向がなかなか取れません。

 

都会の洗脳度は深刻なのかもしれません。

 

歩きのワークでは「観念で歩いちゃいけないのですね。」とすぐに気づいた方もいらっしゃいました。(さすがの寮さんのご主人でしたが)

いやあ、打てば響く会でとても面白かったです。

 

さて、久しぶりの檪ちゃん記事もここに

檪ちゃんに限らずですが、たしかに障がいを持たれる方は可愛いです。

でも、赤ちゃんじゃないのです。立派な大人。いえ、子どもであっても大人が奪わなければしっかりとアイデンティティを持っています。

で、LATINダンスを檪ちゃんはじめたくさんの方々に伝授していますが、みなさんカッコイイしセクシーです。

わたしはあまり心底明るい感じの音楽を自分のLATIN公演で使いませんので、やはり檪ちゃんたち弟子たちにも哀愁漂う曲やクールな曲を使います。自分が踊りたい曲を伝授するのがわたしのやり方です。子ども向けとか障がい者向けとか無いのです。

先日のレッスンでは、LATINの哀愁漂うセクシーな音楽をかけると、顔の表情も動きも一変してしとやかに妖艶に踊ってくれました。

檪ちゃんは来年路地テアトロでの公演を予定していますが。その前に今年サンバカーニバルをまた行いたいと思っています!

 

 

わたしは前衛芸術の身体表現者なので、表現において感情やセンチメンタル、サイコロジーは使いません。

とってもシビアな身体言語で深く掘り下げています。

そして、LATINも実はメタフィジカルなんです。それは最近展開している音と身体のワークショップを受講された方はLATIN音楽のルーツを学ぶにあたって気づかれたのではないかと思うのですが。

LATINを深く知っていただければ、ひびき舞踏表現の根幹がLATINであることに気づかれるかと思います。

シビアな肉体をシビアな心で音楽とコラボするには、バイブレーションが半端ない粒子の中に入り込むには、ボーンメソッドで自身の身体に向いた意識で事物をDEEPに捉えて挑むLATINダンスが良い訓練になります。

←舞踏とLATIN→

 

ボピュリズムなLATINは浸透していますが、他の何においてもそうなように、真理を含むLATINはなかなか浸透しません。だから真理なのかもしれませんが。キューバ国立民族舞踊団の先生に伝授された、形としてだけではないLATINを日本で伝え続けられたらなと思っています。

 

前衛芸術はその時代の意識と事物と深く関係しています。大きな意味での社会活動でもあります。

今の時代の混沌は、目に見えそうで見えない分数十年前の混沌よりも、根が深そうです。

 

しかし、なるべく早く自身の存在(重力)に気づき、自分自身の創造のアイデンティティに気づくのが大切だと感じます。

 

 

追伸:奈良のワークショップの翌日は、寮さんのサロンで、このような講演会に出席してきました。

このお話はアルコール依存症からの離脱でしたが。このように目に見える依存症だけではなく、病気レベルでなくてもいろいろあると思います。

そのことに参考になるお話を聞けました。講師の方は当事者ですが、いまは国家試験をとおって職員でもあります。客観視が素晴らしかった。自分のことを客観的にすべてわかっているのです。精神の障がい者でも小さい子供でも知的の障がい者でもじつは客観的に自身のことがわかっているのでは無いかと思いました。

社会をつくっているわたしたちは客観できているのでしょうか。それを伝えたくてボーンメソッドや特にDEEP MOVOMENT

実践ではLATINのレッスンを30年もし続けてきました。

 

受講経験された方がいつか気づく時が来たら本望です。

 

 

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