ところかまわず

本日、浜松路地番外地で神話の稽古してきました。

 

 

オソロシイほどシュールだった。
他の部屋に出入りする人々の話し声が鳴り響くなか、パーティション隔てて神話をひっそり。
ラジカセは極小音にしたので、外の音やおしゃべりにかき消されてしまうなか、毛穴の数だけ耳にして集中。しかし誰かが覗いたらやだななんて足音にビクビクする。最初は集中もそこそこ。それでもいつの間にか、世界に入ったのか気にならなくなる。
世界に入った?それは、まあ錯覚だろう。なぜなら
路地テアトロの静けさの中であってもいつだってあの最後の方のシーンで頭を持ち上げて久しぶり?に二足歩行になった瞬間、さっきまでいた世界(迷宮)と違う地に降り立ったことに気づくのだから。

しかし今日の体験のように、パラレルワールドをさらにパラレルな世界から俯瞰すると、現実を越える舞台なんて創れるのだろうかと、無力感に襲われる。

あの日常のおしゃべりを音響にして、ひたすら神話に生きるとき、『生きる』って、『生きている』ってなんだろうと思う。

それにしても、一回目の通しでは、オソロシイほどの孤独に陥った。二回目は、ここちの良さにまどろんだ。

自分のいまが、奇妙で滑稽で、だけどいまここ(浜松路地番外地)にいることは必然だと感じた。

 

今日は濃かったな。このあと東京で全く違う世界を堪能した。

 

二回目となる路地番外地での公演。

一回目は「裸足のダイヤカッター」を公演しました。

普通のオフィスビルのスペースをシフトチェンジする醍醐味を味わっています。

以下、「裸足のダイヤカッター」路地番外地公演より

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