ego ipse

今年も障がい者福祉センターの協力を得て、ego ipse 行えます。感謝です。今年は特に素晴らしい職員の方々のおかげで、さらに素敵な会になりそうです。

当方のDEEP UNTメンバーもボランティア参加します。舞台スタッフの助力も大きいです。

 

 

 

ワタシは建前上でさえ本質から逸れたくないので、組織にせず、自分が足を運べる範囲だけ、仲間のみんなのいるところいるところにダンスをしに行ってます。自分が思うところの《ダンス》というものがどれくらいの人々に響くのかそれは言語以上なのではないかという興味に動かされているだけだからです。シンプルな動機です。社会活動だなんて思っていません。

 

時に交通費が無くて断念したり、さすがに自分だけの力では無理だと断念したりするときもありますが、ポピュリズムを目的にしているわけではないので充実しています(^^)v

最初のきっかけは、もうすでに知っている人のほうが少なくなってしまった(皆無かも)くらい、仲間のみんなを取り巻く人々も入れ代わり立ち代わりです。だから、仲間との関係が一番長く、その親御さんとの関係が次くらいとなっています。

当初は親御さんたちの理解を得るのは至難の業でした。反対されているとかそういうのではなく、よくある障がい者ダンスだと思われていたということです。それを覆すのに5年はかかりました。(ダンスや、ボーンや、芸術活動と比べたらハヤイかもです)仲間のみんなが右腕となって証明してくれました。

 

いまは、もう土壌ができているので、そういうダンスなんだという親御さんの理解のもと、きてくれる仲間もいるのでどんどん向上で来てます。

 

 

健常者の既成概念を壊すというのは、何より難しいです。

幸いアスリートだったから、既成概念にとらわれない習性があるため、自分自身は、変わらないために変わりつづけることができますが。

障がい者関連だけではありません。LATINダンスしかり、ボーンメソッドしかり。表現活動しかり。

競技ダンスの時もそうでした。見たことないモノ聞いたことがないモノを日本人は認めない人種なんですね。そんな珍しいことをワタシはやっていないのですが。。。

 

ワタシがいつも疑っているのは、身体に目が向いていない方々の言動が機械のように似ているからなんです。考えや思想や使う言葉が十人十色だったら疑わないのですが。

一方、身体に目が向いている方々の言葉は十人十色でものすごくバラエティに富んでいます。インスパイアされあったりします。

 

約30年プロとして、日本人はもっと身体性の高い民族のはずだと信じて、バッシングの嵐に打たれながら、時にくじけながらも、あちら側の船には全く興味がなかったので乗りませんでした。

あちら側とは・・・ポピュリズム側ということです。

 

 

そもそも、小さい時は、自分が少数派だなんて思ってもいませんでした!

よろしければ、ワタシに最初に宿った哲学が読み解けるエッセイ詩集「かがみのとびら」に載っている、小学5年生の時の文を読んでみてください。詩集を出す時に久しぶりに読んだら驚きました(^^;) この時から全く変わっていない自分に。

成長していないのか、ブレていないのかわかりませんが。

しかし、こういった考えを持ち始めたのは、小学3年生の時ですね。体制への不信がつのっていましたし、ひとの心理が読めてしまうヘンなクセを幼少から持っていたので、心と言葉の違いに驚いていた頃です。

 

ego ipse も一番宣伝してくれているのが、仲間のみんな自身です。

親御さんがそこに目を見張り、心を動かし、参加が増えています。

仲間のみんなは基本ワタシたちのわかる言葉を発しませんが、仲間のみんなはワタシたちのことをすべて理解しています。

これは、きれいごとで言っているのではなくて、自分の体験からの身体論でもあるし、心理学やコーマワークなどを勉強したうえで自分なりに結論に至ったことです。

 

身体表現者なので。○○学なんて・・・つまり学(=知識)より、実践、そして、体感、そしてそれを主観ではなく他者的に論理だてていくというプロセスになれているからかもしれません。

 

とにかく、いまに至っても少数派なのには驚きます。多数派になりたいわけではないのですが、あまりの少なさに驚くわけです。また一から説明しなきゃならないのか!とね(*’▽’)

面倒くさがりなので。

 

舞台で、表現するというのも一つの伝達の手段と思ってはおりますが、これまたジャンルに入らないと言われるほど、稀有だなんて?!信じられない!!!( ;∀;)

 

 

まあ、そういう運命?であることは10年以上前に、リーディングした時に理解しましたが、わかっていても時に辛いですわっ(*^^)v

30年に及んだトラウマも自分を実験台に思考を研究したりして、かなりのことを理解できましたので、トラウマ様様です☆

完治しましたよっ☆

 

とにかく身体の奥底に入っていきますと神秘にたどり着きますね。

生命の神秘。完璧な建築物である骨構造の神秘。

そして、ものごとのプロセスの神秘。

思考の正体。。本当の感情のこと。

そして何より、宇宙の神秘。

 

 

 

もっと普通の世の中になればいいのにな~~。

普通にしているワタシが異端ではなく、普通扱いされれば世の中は平和になったってことですよね。と、10年くらい前に、自然農の農家さん巡りをしていたときに、お互いそうつぶやいたものです。無農薬が稀有なものだと思われているうちは、まだまだだよねと。しかし、世の中はいっこうに、逆に進んでますね。

 

いまだ世の中は精神至上主義なんですね。自分探しナンテありませんよ。自分は今そこにいるでしょ。探さなくても。

 

感情に流されず、身体を通して内観すると、すべての法則が見えてきます。お金もかかりませんし、時間もさほどかかりません。エコです。余った時間はそれこそ、ボランティアでもなんにでも使えます。ストレス解消もいらないし、パワーと癒しを同時に身につけられます。肉は時に疲れるとは思いますが、ゆっくりお風呂に入って、たくさん睡眠をとる時間も取り戻せます。

 

身体至上主義になれば、いじめもなくなるし、争いだってなくなるのに・・・・

いろいろな方にお勧めいしていますが「原初生命体としての人間」も読んでください。野口三千三著

野口先生も伝達に苦労されたようです。。。。

 

 

地球のなかの日本のなかの東京のなかの施設のなかで、

時代のなかの人生の中の一年の中の一日の中のホンの二時間の出来事を是非目撃してください☆

かなりぎゅうぎゅうかもなので、身体に不自由のない方はできれば立ち見でお願いします。入れ替わりも激しいと思いますので、座れたらお座りください。

心よりお待ちしております。

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