神話のとびらのとびらのとびら

今年2017年は、何をやるのかではなく誰に見せるのかが大切ではないかというアドバイスもいただき、それと合わせて昨年はどの作品も再演にたえうる力のあるものだったから新作にこだわらなくても大丈夫と!

そう思いつつも、例の行列を成して「オレのことやってね」「オレのこと忘れるなよ」「次はアタイでしょ」ってのが、今年はいままで以上にやってきてて、一体どうしたものだか。こういった声はビジョンと一緒にやってくるし、シンクロを携えても来るから、創るのに困ることは無いにせよ。身体はアナログでして・・・・切り貼りするわけには行きませんのでね。

企画書が間に合わなかったり、話すヒマが無かったり、脳みそはいつだって身体より遅いから大変だ。

 

さて、来週月曜日の「神話のとびら」再演ですが、初演は昨年6月のIDTFシアターΧ国際舞台芸術祭の時は、持ち時間が決まっていたのとテーマが(北斎とかぶこう)決まっていたので、同年3月にシアターΧ+ひびきみか共同企画の「ミノタウロスとアリアドネ」をかぶくことにしたのです。自分の作品をかぶくのは初めてだったけど思いもよらず大好評で「かぶいてましたよ~」と。

 

この度の再演は今年写真集を出そうとここ数年わたしの公演の写真を撮ってくださっている、あのセンスの良いチラシの数々もデザインしてくださっているMr.Kの提案があったので、氏が撮っていない作品の撮影を兼ねての公演となった。

 

言うまでもないけれど、やはり稽古すればするほど、気づきも多いし閃きに閃きが重なるし、身体も調子よいし、いいことずくめだ。

 

そして、再演どころか身体の変化が著しく、新作というか新技法というかなんというかモンタージュも昨年のやり方ではもはやダメだろうと思っていたら、やっぱ・・・・生まれるもんですな。稽古さまさまです。自主稽古ですよ、もちろん。地味で狂気で地道で根暗で、アヤシイ自主稽古です。忍耐と集中力は自主稽古が一番つくとおもいます。

強制されてやるわけでないので、サボろうと思えばいくらでもサボれるわけですから、カッコたる意志が必要です。石の意志。

 

で・・・・・・本題(相変わらず枕ながいな。落語ならまだしも・・・)です。

なにより、このミノタウロス=クレタ伝説の悲劇は、わたしはパシパエだと思う。ミノス王のせいでポセイドンに魔法をかけられて牡牛に恋をするようになってしまったのだから。

たしかに、生まれてくる子供に罪はないわけでミノタウロスも悲劇なのだけど、そもそもパシパエに魔法がかけられなければ・・・ということはミノスがポセイドンを裏切らなければ罪のないパシパエに魔法をかけることは無かったのだから。

で、で、で、ので、

ワタクシの作品はもうご存知の方もたくさんいらっしゃるので、種明かし?しますと、「ミノタウロスとアリアドネ」も「神話のとびら」もパシパエの狂気(すでに牡牛に恋をしているところ)からはじまるのです。

だから当然稽古もここから始まるわけだけど、なんだかね~。と毎度彼女が気の毒になります。

でもすでに魔法がかかっているからそれが狂気だとは思わないわけで、本人は不幸ではないのでしょう。

そういうこと、世の中にも多々ありそうでぞっとします。洗脳という形でね。

 

きょうはこの辺にしますが、

そういえばピカソもミノタウロスをたくさん描いています。その中で、今回の神話のとびら再演にそっくりなの見つけてしまいました~~~~~~!!!!!

探してみてください!

これだから身体に棲むと楽しい反面怖いのよっ。

 

心よりお待ちしております!

 

 

 

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